おはようございます。大阪市梅田は曇りです。梅雨入して湿気が少し高くなっていますが、皆さまいかがお過ごしでしょうか。




 




今日は、「群集心理」について書こうと思います。


 


私たちは普段、自分の頭で考えて、
自分の意志で行動しているつもりでいます。

 




しかし往々にして、

無意識に周囲と 同調 したり、

自分という個人が、
集団のなかで 埋没 していることも多いです。
 




歴史を振り返ってみても、

多くの人々が同じ方向へ流れると、

 

その勢いは冷静な判断を失って、

 

先鋭化し、悲惨な戦争に突入したケースは、

数え切れないくらいあります。





なぜ人は、集団の中に入ると、

考える力 を失ってしまうのでしょうか?




ル・ボンは名著『群衆心理』で100年以上前に、
その危険な現象を指摘しています。




現代社会にこそ、彼の深い洞察が必要かもしれません。






みんながそう言っているから





その一言が、私たちの判断に想像以上の影響を与えます。





SNSでも、職場でも、家庭でも、



人は ≪ 空気 ≫ に支配されやすい存在です。





流行、ブーム、炎上、
集団バッシング、いじめ、排斥、攻撃。





形は変わっても、

人々が群れとして行動する現象は、

昔から存在します。



 


そして、その中心には


  理性ではなく、

付和雷同する 感情 があります。



 



人間は集団になることで何を失い、

何に支配されていくのでしょう?





優秀な人が集まれば、必ずしも、

より賢い結論にたどり着くとは限りません。




むしろ、逆のケース多くあります。





どれほど優秀で理性的、かつ道徳的な人間であっても、

ひとたび特定の集団(群衆)のパーツになると、

その知的水準は著しく低下します。





閉ざされた集団の中では、
個人では考えられないような
極端な判断が生まれることもあります。

 



私たちはなぜ空気に飲まれ、
同調してしまうのでしょうか?




その背景には、

人間の心理的メカニズムが隠されています。





人は孤独を恐れます。


 

 



そして、仲間外れにならないために、

多くの場合、自分の本音よりも、

「集団の空気」を 優先 しがちになります。





その結果、後になって
「なぜあんな行動をしたのだろう」
と振り返ることも少なくありません。





群衆心理を 理解 することは、
「自分自身を取り戻す」第一歩でもあると考えられます。






セラピストとしてクライアント様と向き合う中で、
よく耳にするのは

「つい周りに流されてしまう」

「いつの間にか、自分の本当の気持ちがわからなくなった」
というお声です。





心理学では、

これを「心理的群衆(psychological crowd)」と呼びます。


 




心理的群集は、

単なる人の集まりではなく、

感情や観念が一方向に揃い、

個人が集団に心理的に「支配」される状態を指します。





心理的群衆は、偶然の集まりでは生まれません。





何らかの強い刺激、

つまり危機感、怒り、期待、意外性などがきっかけとなり、

個人の意識が薄れ

無意識に 同一方向 に流されていく状態をいいます。


 




私たちの行動の大部分は、

 

  無意識 に支配されていますが、

 

群衆の中では、この傾向が 極端に 強まります。



 



知性や職業、性格の違いを超えて、

 



誰もが「凡庸な無意識」を共有しているからです。





ル・ボンが指摘したように、
優秀な人々の会議でも、愚か者の集まりでも、
「結果に大差が出ない」理由は、ここにあるのでしょう。



 



雑多な集団になると、

高度な知性を必要とする判断を下せず、

むしろ、平均以下のレベルに引き下げられることが多いです。






個人の知能は失われ、

 

無意識的な衝動が全体を支配する

 

これが群衆心理の核心だと考えられます。



 




その理由の一つには、
責任感の希薄化があります。




「みんながやっているから」


「自分一人ではないから」


という感覚が、


個人の責任意識を 溶かしていきます。





一人なら言わない言葉を、
人は集団の中では、平気で口にしたりします。





「みんなが言っているから」


「自分だけじゃないから」


その瞬間、人は自分の行動への責任を 手放してしまいます。





単独では抑えていた破壊衝動や攻撃性が、
群衆の中で容易に解放されるのです。





そして二つ目は、感情の感染です。




恐怖、不安、怒り、大義名分。




感情は ウイルス のように伝染します。




誰かの怒りは周囲の怒りを呼び込み、
やがて集団全体が 同じ感情に支配 されます。





すると、冷静な判断は難しくなります。





強い感情は急速に伝播し、

 




  微妙なニュアンスを排除し、

 

 


単純・誇張された形で拡大します。


 

 




そして、一度「感染」が始まると、

疑問や不確実性を挟む余地がなくなります。






最後に、三つ目の理由として、
被暗示性の極端な高まり(最も危険)があります。




これが、最も注目すべき点だと思います。




群衆の中では、人は驚くほど暗示にかかりやすくなります。




・繰り返される言葉
・断定的な主張
・感情を刺激するストーリー





それらが無意識に浸透し、

人は自分で考えているつもりで、

実は考えさせられている状態になります。





そして無意識の特性として、

 

 「多数派」を安全だと

 

判断します。






私たちの脳は太古の昔から、
集団から排除されることを
生命の危険として認識してきました。




原始時代、群れから追放されることは、
死を意味したのです。





そのため無意識は、

「みんなと同じでいること」を安全

と判断する傾向があります。





たとえ集団の考え方が間違っていたとしても、

 

無意識は「真実より所属を優先」するのです。


 



その結果、



●違和感を感じながらも、空気に従う



●ほんとうは、反対なのに賛成する



●本当はおかしいと思っているのに、沈黙する



●ほんとうは、傷ついているのに笑顔を作る





これらは意志の弱さというより、

人間の深層心理に組み込まれた生存本能

といえるかもしれません。





ですから、集団や組織のなかの一個人は
「自由意志を失った自動人形」になりやすくなります。





影響力のある支配者や、権威や権力に

支配されやすくなり、批判的思考が 麻痺 し、

ときには、荒唐無稽な話さえ信じやすくなります。






想像力は刺激されやすくなる一方で、

論理 は極めて低次になってしまうのです。





潜在意識(無意識)の観点から見ると、

これは「自我の境界が溶解する」状態といえます。





普段は抑圧されている「原始的な感情」が、
集団という容器の中で自由に暴れ回る、
という感じかもしれません。






そして多くの場合、


群衆は「指導者」を必要としますが、


指導者は、決して思想家でも哲学者でもありません。





あくまでその場の権力者であり、

多くの場合、指導者は強い意思を持って

断言・反復・感染」という手法を使っています。





簡潔なスローガンを繰り返し、
感情を共有させるのです。





十分に広がった意見は、その集団内では

 

「威厳(prestige)」という神秘的な力を獲得し、

 

批判を不可能にします。





成功すれば神格化され、
失敗すれば一瞬で捨てられる、

これも群衆心理の典型的なパターンです。






フランス革命時の「九月虐殺」では、
普通の職人たちが「国のため」という暗示を受け、
法廷まがいの手続きを踏んで、虐殺を実行しました。




彼らは良心の呵責を感じにくく、
「義務を果たした」とさえ信じていたといいます。



この事例は、集団が個人の道徳的基準を、
どれほど容易に書き換えるかを示しています。


 




SNS時代では、


物理的に同じ場所にいなくても、


心理的群衆は、瞬時に形成 されます。





そこでは個人の複雑な思いが削ぎ落とされ、

単純化 された感情だけが 増幅 していきます。




結果として、

個人は「自分らしさ」を失ってしまいます。




そして多くの人が孤立を感じ、
虚無感や自己嫌悪に苛まれるケースも少なくありません。


 



心理学的には、以下の点を大切だと考えられます。



・無意識の監視:自分の感情が急激に高ぶっていないか気づく



・境界の保持:集団の声と自分の内なる声を区別する習慣


・孤独の価値:一人で考える時間を、意識的に確保する


・被暗示性の自覚:強い言葉や繰り返しに「本当にそうか?」と問いかける習慣





群衆心理は、個々の無意識を暴走させ、秩序を破壊する一方で、
時には、社会変革の原動力にもなります。


 



大切なのは

「自分は今、心理的群衆の中にいるのか」

という メタ認知 があるかどうかだと考えられます。


 



過去を振り返られていかがでしょうか?




どこかで集団や組織の「自動人形」に
なっていなかったでしょうか。


 



集団心理に陥いること


それ自体が問題なのではなく、



その後



自分の安全地帯に戻れているのか、


メタ認知 を高められているかが大切なのでしょう。



 



自分の無意識と静かに向き合う時間を持つことが、

 

     心の平穏を保ち、

 

自分らしく生きる最も静かで強力なものになるでしょう。



 

 



…セラピーの現場では、集団によって傷ついた人を数多く見かけます。



■学校でのいじめ


■職場での孤立


■家庭内でのスケープゴート


■コミュニティ内での排除




こうした場面では、必ずしも
明確な加害者が存在するわけではありません。





むしろ問題なのは「 空気 」です。




誰かが攻撃を始める

   ↓

周囲が同調する

   ↓

誰も止めない

   ↓

やがて標的となった人は、

「自分が悪いのではないか」と考え始める





しかし実際には、その人に問題があるとは限りません。

 




群衆は 単純化 を好みます。



複雑な問題を「一人の悪者」に押し付けることで、
安心感を得ようとするのです。




その結果、最も優しい人、最も反論しない人、
最も孤立している人が 標的 になりやすくなります。





集団はしばしば弱い者を利用して、

結束を強めるのです。





群衆(集団)から自分を守る方法は、
非常に重要なことだと思います。


 



ただし、群衆心理の影響を、
誰も完全に避けることはできないでしょう。




誰もが、その影響を受けます。




しかし、飲み込まれないための方法はあります。

 


それは、自分の「不完全さ」を許すことです。





集団心理は 極端な完璧さ を求めますが、

 



人は本来、グレーな存在 です。





曖昧なグレーゾーンこそが重要 なのです。





割り切れない自分や、

 

矛盾や葛藤、未熟さを抱える自分を、

 

出来るだけ受け入れていきましょう。






そして、そのためには、

自分の内側に戻る 習慣 を持つことです。




「いま感じている感情は、本当に自分のものだろうか?」



「その怒りは、どこから来たのだろうか?」



「その不安は、自分自身の考えだろうか?」



「それとも、周囲から感染したものだろうか?」





一度立ち止まり、自分の感覚を確認する。



その作業がとても重要なのでしょう。


 




群衆は常に、外側 へ意識を向けさせます。




一方、心の回復は 内側 から始まります。



・自分の身体感覚

 

・自分の感情

 

・自分の価値観

 

・自分の良心



それらとのつながりを取り戻したとき、

人は初めて、集団心理から目覚めることが出来るでしょう。



 



本当に自由な人は、

 

誰にも影響されない人ではありません。

 




集団の圧力を感じながらも、

自分の内なる声を失わない人です。




『周囲と違う意見を持つ勇気』

 

 

 

『空気に流されない冷静さ』

 

 

『自分自身の感覚を信頼する力』


 



それらは知識だけでは、得られないでしょう。

 




日々、自分の潜在意識と向き合い、

自分自身を理解することによって育まれるでしょう。



 



…群衆は常に存在します。




時代が変わっても、人間の無意識 は大きく変わりません。


 



だからこそ私たちは、

「みんながそう言っている」という理由ではなく、

「自分はどう感じるのか」という問いかけを忘れてはいけないのかもしれません。





その問いかけが、

 

社会(群集)の中で

 

自分自身を見失わないための

 

となるでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最後まで読んでくださってどうもありがとうございました。

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