アドラー心理学:人間関係から自由になる
おはようございます。大阪市梅田は快晴です。今日は朝昼晩のフルセッションです。集中して臨みたいです。
…今日は「人に嫌われたくない心理」について書こうと思います。誰でも、できたら人に好かれたいと思うはずです。
わざわざ嫌われたいと願う人など、どこにもいないでしょう。
しかし、私たちの努力とは関係なく、自分のことを嫌ってくる人もいるのが現実です。誰かから嫌われたとき、又は嫌われているのではないかと感じたとき、どんな気分になるでしょうか?きっと苦しく重い気分になるでしょう。
どうして嫌われてしまったのか、自分の言動のどこがいけなかったのか、もっとこういう接し方をすればよかったんじゃないかと思い悩み、自責の念に駆られることもあるかもしれません。
他者から嫌われたくないと思うこと。これは人間にとって、きわめて自然な欲望であり、衝動なのでしょう。
近代哲学の巨人、カントはそうした欲望のことを「傾向性」と呼びました。
「傾向性」、それは本能的な欲望、衝動的な欲望。
そして本当の自由とは、欲望のままに流されるのではなく、自分を押し上げていくような態度だと述べています。
私たちは傾向性に抗うことができる存在です。数えきれないくらいの失敗から学ばなければ、そこに生きる前向きなものを見いだすことはできないでしょう。
自分を貶めてまで人付き合いする必要はないでしょう。自分をさげすむ人間の機嫌をとるぐらいなら、その対象からしっかり距離を取り、自分を尊重してくれる人、お互い切磋琢磨できる人との時間、あるいは孤独な時間を大切にする方がはるかに価値のある生き方になるでしょう。
…承認欲求は自然な欲望です。でも、他者からの承認を受けるために、坂道を転がり続けるとしたらどうでしょうか。転がる石のように自らを摩耗させ、形なきところまで丸みを帯びていくのでしょうか。そこでできあがった球体は「本当の自分」だと言えるでしょうか。そんなはずはないでしょう。
人間の持つ悩みの大半は人間関係であるといわれています。つまり私たちは、対人関係から解放されることを求め、対人関係からの自由を求めています。しかし、この地球でただ一人で生きることは出来ません。
きっとこんな自分を好いてくれたり、同調してくれる人もいるでしょう。同様に、嫌われたり、共感されないこともあるかもしれません。
自由とは、他人から嫌われたくないという心理から自由になることだといいます。
たしかに嫌われることは苦しいことです。できれば、誰からも嫌われずに生きていたいものです。
承認欲求を満たしたい。
しかし、すべての人から嫌われないように立ち回る生き方は、不自由極まりない生き方であり、同時に不可能なことです。
自分を馬鹿にしてくる人を思い描いてみてください。その人はきっと別の場所で馬鹿にされているでしょう。
「自由を行使」したければ、そこにはコストが伴います。そして対人関係における自由のコストとは、他者から嫌われることなのかもしれません。
自由とは「組織からの自由」だと考えられがちです。家庭や学校、会社、あるいは国家などから飛び出すことが、自由なのだと。
この窮屈極まりない世の中から脱失したい、そういう生き方や考え方も沢山あっていいと思います。
他者の評価に縛られずに、他者から嫌われることをそれ程怖れず、もしかしたら承認されないかもしれないというコストを支払わない限り、「自分の生き方」を見出すことは決してできないでしょう。
もちろん、わざわざ嫌われるような生き方をしたりするのは愚かなことです。そんな愚かなこともたくさん経験するのが人間なのでしょう。
うまく課題を分離していきましょう。
あなたのことをよく思わない人がいても、それはあなたの課題ではありません。
それは相手の課題です。
嫌われる可能性を怖れることなく、前に進んでいくことが大切なのかもしれません。坂道を転がるように生きるのではなく、眼前の坂を登っていく。それが、人間にとっての「自由」なのかもしれません。
相手からどう思われるかだけではなく、「自分のことを好きになるべきだ」「これだけ尽くしているのだから、好きにならないのはおかしい」と考えるのも、相手の課題に介入したもので、歪んだストーカー的な発想になるでしょう。
このような見返りを求め続けて、相手に強要する権利など、どこにも誰にもありません。
相手の評価を気にし過ぎることも、相手に要求し過ぎることも結局同じことで、相手への侵犯行為、越権行為でしょう。他者からどう思われるかよりも先に、自分がどうあるべきかが問題なのでしょう。
自分があってこその貢献であり、自分があってこその人生なのですから。
「嫌われたくない」と願うのは自分の課題かもしれませんが、「自分のことをどう思うか」は他者の課題です。自分のことをよく思わない人がいたとしても、そこに介入することはできないのでしょう。
「馬を水辺に連れて行くことができても、水を飲ませることはできない」ということわざがあります。
努力はするべきでしょう。それが価値あることだと信じられるなら。でも、水を飲むか飲まないかは、相手の課題です。
幸せになる勇気は、人に嫌われたくない心理から自由になることから始まるのかもしれません。
その勇気を持ちえたとき、私たちの対人関係は軽いものへと変わっていくのかもしれませんね。
最後まで読んでくださってどうもありがとうございました。
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