承認欲求は自分を苦しめる原因
おはようございます。大阪市梅田は快晴です。すっかり春らしいお天気ですね。
…今日は「承認欲求」について書こうと思います。
よく「自分の好きなことをやりなさい」「自分の人生なんだから」といいます。
一方、成長する過程のなかで、親や教師に「あの学校に入りなさい」「安定した職業に就きなさい」などと具体的に、過干渉気味に言われて育ってきた人も多くいます。
自分の好きなことを見つけて、それに邁進できる人生が実現出来たら、それに越したことはないでしょう。
しかし、自分の道を他人に決めて欲しいという依存的な考えを持つ人が増えている現実もあります。
「他者が自分に何を期待しているのか」、「自分にはどういう役割が求められているのか」、そこを判断するのはさほど難しくないからなのかもしれません。
他方、自分の好きなように生きることは、ある意味、厳しくもあり難しくもあります。
自分は何を望んでいるのか?
何になりたくて、どんな人生を歩みたいのか?
そんな具体像など、なかなか見えてこないものだと思います。たしかに、他者の期待を満たすように生きることは、楽なものです。自分の人生を他人任せにしているのですから。
例えば、親の敷いたレールの上を走る。ここには大小さまざまな不満はあるにしても、レールの上を走っている限りにおいて、道に迷うことはありません。
しかし、自分の道を自分で決めようとすれば、当然迷いは出てきます。
「いかに生きるべきか」という壁に直面します。
「他者に依存して生きる」ということは、他者からの承認を求め続けるということと同じことかもしれません。
他者からの承認を選ぶのか、それとも、承認なき自由の道を選ぶのか。他者の視線を気にして、他者の顔色を窺いながら生きること。他者の望みをかなえるように生きること。
たしかに「道しるべ」となるかもしれませんが、これはとても不自由な生き方でしょう。
では、どうしてそんな不自由な生き方を選んでしまうのでしょうか。それは、周りの人への承認欲求、要するに誰からも嫌われたくないからなのかもしれません。
もちろん嫌われたいと望む人などいないでしょう。でも、誰からも嫌われない人などいないでしょう。むしろ信用を失い、自らの人生をより苦しいものへとしてしまいます。
でもだからと言って、自己中心的に、好き勝手に生きることがいいということではありません。
大事なことは、「課題の分離」なのだと考えられます。
「自分の課題」と「相手の課題」を分離していくことです。
相手がどう考え、どう評価するのか、どういう信念を持って、どういう付き合い方をするかは相手の課題です。
同じように「自分の課題」があり、自分はどういう存在であり、何をすべきで、何ができるのかを考えて、行動に移していくことです。
私たちはともすれば、他者の課題に介入し過ぎてしまいます。
親が子どもに勉強を強要し、恋人や夫(妻)に自分の要求を求め続け、会社では上司や部下に自分の考えを押し付け続ける。
それはとても自己中心的な発想です。人間はそもそも自己保存の本能があるので、自己中心的な面がどうしてもあるということを、まず理解しなければいけないでしょう。
そして、そういう人は「思い通りにいかない現実」を他人のせいに無意識にする人がいます。本当にそうだと信じているかのように、自分を正当化するのです。
そういう人は学びが少なく、自分の不幸はあの人のせいだと考えます。承認欲求は行き過ぎると、自己中心的な生き方になってしまい、必ず対立や破滅を生んでしまうといいます。
人に求めるのではなく、自分はどうなのか。
自分にはどういう課題があり、その課題にどう取り組んでいくかということが求められているのかもしれません。
自分と向き合っていくと、さまざまな自分を発見でき、捉え方がどんどん変わっていくでしょう。そしてその捉え方そのものが、私たちの人生を豊かにしてくれるのかもしれません。
ヒプノセラピー(催眠療法、インナーチャイルド療法、前世療法)でより多くの癒しや気付きをと願っております。
最後まで読んでくださってどうもありがとうございました。
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