生きることに疲れた人:生き辛さの原因
おはようございます。大阪市梅田は快晴です。今日も長めのウォーキングをしてきました。
…ストレス社会で、生きることに疲れた人は増えているのかもしれません。生きることに疲れるということは、肉体的に疲れたということではないでしょう。仕事をし過ぎたとか、運動をし過ぎたという意味でもないでしょう。もし、肉体的に疲れたのであれば、休めば回復します。
しかし、生きることに疲れた時は、寝ても疲れは取れないし、そもそも寝ようとしても寝付けないことも多くあります。
また生きることに疲れたということは、単に何かにショックを受けたというレベルとは違うような気がします。悲しいことがあって、心理的に疲れたという意味だけではないでしょう。親しい人を失って疲れたという意味だけでもないでしょう。
もう生きるのがイヤになったという意味で、「生きることに疲れた」と感じているのだと思います。生きることに疲れた人は、心の中に恨み辛みが残っているといいます。
「生きることに疲れた人」は、小さい頃から毎日ストレスの連続で、すべてがイヤになってしまったのかもしれません。そして、心の底に憎しみが抑圧されているのです。
たとえば、人と話をするのさえしんどくなる。何気ない日常の会話も辛い「仕事」になってしまいます。それは無理をして話をしてきたからかもしれません。
興味がないのに、興味のあるふりをして話をしなければいけない環境だったのかもしれません。そんな会話を続けていたら、自分が自分でなくなってしまうでしょう。生きることに疲れた人は、心の底に憎しみが抑圧されているから、人と心が触れ合えなくなっています。
一人でいることは楽しくはないですが、皆でいるのも消耗する。人前ではどうしても自分を偽ってしまう。そして何をするのも億劫になってしまう。だから、周囲の人から何かを要求されることが辛いのかもしれません。
たとえ簡単なことであっても、「こうして欲しい」と要求されることが辛くなってしまっています。かと言って、自分からしたいことも見つからない。でも何もしないでいることも辛い。生きることがイヤなのに対処の仕方が分からない。
観たいものも、食べたいものも、会いたい人もいない。でも家に居ても退屈でやりきれない。「生きることに疲れた人」は、世の中に恨みを持ちつつも、生きるエネルギーを失っているように感じます。
なぜ生きることに疲れるのでしょうか。
生きることに疲れた人は、おそらく憎しみとか敵意とか嫌悪感など、さまざまなマイナス感情が、心の底(潜在意識)に鬱積しているのでしょう。
しかし根雪のように凍りついたマイナス感情を、当の本人もあまり気付いていないことがあります。 生きることに疲れたという感情は、嫌なことを嫌と言えない、あるいは、嫌なことを嫌と意識することもできなかったからなのかもしれません。
でも、そこで真面目に生きてこられてきました。「この人生にはきっと何かがあるだろう」と一所懸命生きてきたのに、気が付いたら生きることに疲れてしまったのかもしれません。
生きることに疲れた人は、真面目な人です。苛酷な環境の中で努力してきた人です。
頑張って踏んばってきたのに、まさかこんなことになると予想もできませんでした。今、出来ることは、その努力を見直していくこと、抑圧された憎しみを解放していくことだと思います。
その過程の中で、自分という存在を知り、これまでの人生を俯瞰していくことが大切だと感じます。与えられた試練をどう受け取るかは「私たち次第」です。また新たな生き方ができれば、だんだんと生き苦しさは和らいでくるかもしれません。
ヒプノセラピー(催眠療法、インナーチャイルド療法、前世療法)は、過去のトラウマや生き辛さの因果を紐解いていく心理療法です。より多くの癒しや気付きをと願っております。
最後まで読んでくださってどうもありがとうございました。
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