”魅力”は”修羅場の数”に比例する
おはようございます。 大阪市梅田は快晴です。 今日は昼と夜のセッションです。一会入魂で臨みたいです。
…今日は”修羅場”について書こうと思います。生きているといろんなことに出会います。信頼や絆という温かいものもあれば、生き辛さや過酷な理不尽な環境もあるでしょう。
私たちがもつ最初の人間関係は親子関係かもしれません。。例えば、甘えの抑圧をもつ親は、子どもが自分の支配に服すると、機嫌がよくなります。長ずるにしたがって、誰もが自分自身のことを考え出して、なぜ生き辛いのかを考え始めます。
自分の価値を認めてくれなくなった、自分を拒否しだしたということで、怒りや憎しみを持つ人も多くいます。理不尽なことがあれば誰でもそういう感情に振り回されてしまうこともあるでしょう。
愛が憎しみに変わったというよりも、心理的依存が満たされず、憎しみをもったということなのでしょう。甘えの抑圧を抱える人が身近にいることは大変なことでもあります。
甘えの抑圧は、無意識のことなので、なかなか本人が気付くことが難しいものです。甘えの抑圧は、心理的依存を生み出し、相手を過剰に求め、原因他人説へとなってしまいます。その程度も人によって違うし、世間的には一見して見えないので、非常に複雑です。
歪んでいくと、なんでも人のせいにしたり、他人の人生を生きることになります。自分を偽っていると、相手の本当の姿はあからさまにはなりません。
いつも笑顔で、相手のことを何でも聞き入れなければ、相手は去ってしまうのではいかという恐怖にさいなまれる人も多くいます。同調圧力の強い日本社会ならではの悩みはたくさんあります。
自己主張とは、ただ、自分を偽らないということかもしれません。しかし、自分を偽らないということは、時に修羅場も必要になります。
これまで取り繕ってきた生き方や、表面的な生き方を捨てて、新しい価値観で生きていくことは、大変な勇気が要ることです。
しかし、修羅場を生き抜かねば、自信をもてないという運命にある人もいます。生まれてこのかた、ずっと生きていて辛かった人、何が原因かも分からず失敗ばかり積み重ねてきた人生を振り返って、よくよく内観していかなければ、自分という人間が分からないものでしょう。
一方で、修羅場を避けようとしたがために、一生屈折した思いで生きる人も多くいます。自らを鍛える場を避けて群れることによって、自信喪失・空虚感という大きな代償を払う人です。人生の最終的な清算は、自信でなされるのかもしれません。
ごまかしのある人は表面では得しているようでも自信がなく、ごまかしのない人は表面では損しているようでも自信が自然と出てきたり。人がどれだけ魅力的かは、一つには、どれだけ修羅場をくぐり抜けてきたかによるのでしょう。
健康のこと、仕事のこと、親とのこと、職場の人間関係、お金のこと、自分自身の中にある拭い去れないような負の感情、思い通りにいかない体のこと、コントロールを失うほどの追い詰められる感覚…。ある意味人生は戦いかもしれません。誰かと競い戦うのではなく、今のこの現実と戦っていくことが、「自信」につながっていくのでしょう。
他人は勝手に言いますが、自分の人生は自分でしか生きていけません。どんなに身勝手な思い込みをもち、他者にレッテルを貼っても、誰も「自分」からは永遠に逃げられません。
負けるか勝つかが問題なのではなく、自分がどう向き合っていくかが、「自信」にもつながり、「喪失感」にもつながるのでしょう。
生き辛さがあると、どうしても視野が狭くなります。大事なことは、俯瞰していく力、客観視して大局的に観る力だといいます。
ヒプノセラピー(催眠療法、インナーチャイルド療法、前世療法)は、自らの潜在意識に問いかけていくセラピーです。より多くの癒しや気付きをと願っております。
最後まで読んでくださってどうもありがとうございました。
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